2014年3月23日の夢

起床して12時間以上経過したため、記憶があやふやな部分がある。

 

大阪府西成区のスーパー「玉出」で、肉を吟味していた。そこは破壊的な価格でものが売られていることで知られており、僕は調理済みのステーキ肉を探していたのであるが、なかなかの大きさの肉でも350円ぐらいの値段で、驚いていた。しかしながら自分の気に入る感じの肉が並んでいなかったので、悩んでいた所、スーパーの外から大歓声とともに歌声が聞こえてきた。その聞こえ方というのは、大型のライブハウスの外に居る時に聞こえてくるような、反響はしているのだけれどこもっているという感じだった。僕は気になって曲を丁寧に聴いてみた所、曲名は知らないのだけれどどうやらレミオロメンらしいことがわかった。「ふーん、レミオロメンか」と思って肉の吟味に戻った所、今度は初音ミクの歌声が聞こえてきたので、非常に気になってきて、外に出た。外を出るとそこには直ぐ大型のドームがあった。今思えばこれが夢に気付くチャンスだったか。知り合いだったのかよく覚えていないがそばに居た人間が僕を小高い丘の上に連れて行ってくれて、ライブをドームの上から覗き見することが出来た。 初音ミクの歌声を聞いたはずだったのだが舞台上にはレミオロメンが居た。ライティングとかも派手で、それなりにタダライブを楽しんでいた所、ずっと遠くに居るはずのレミオロメンにガンを飛ばさた。それに動揺していると、そばに居た人間が「バレたな」と言って逃げたから、僕も逃げた。

その後自分が通ってた高校とスーパー「玉出」をただならぬ焦燥感で行き来していた気がするんですけど、つながりが思い出せないので、今日はここで終わります。

2014年3月22日の夢

どこか都心の方の格好良いビルで予備校の同期の人たちが集まるパーティーみたいなのがあって、開場より30分ぐらい早く着いた。そのビルの入り口のシャッターは下りていたし、その日が雨だということもあって、人気が無かった。誰もいないのかなとビルの脇の雨が避けれる場所に行ってみたら予備校で顔見知りであったAさんがいた。このAさんというのは非常に元気で明るい人で、なによりおしゃれな女の人であった。あまり接点は無かったが、色彩感覚や個性共に一つ頭抜けてセンスが良かったので、すれ違ったりする度に洋服が好きな僕はその人の服装をチェックしていた。 短髪の似合う人であった。

「あ、こんにちは」と僕がぎこちない挨拶を繰り出すと、Aさんはにっこりとして、「こんにちはー」と返してくれた。 「こんなこと、前もあったよね」みたいなことを言われた。 そのとき僕が思い出したのは、昔予備校の仲間と遊びに行ったときに、僕とAさんだけが予定より早く到着していて、何となく時間を持て余したという記憶である。ちなみにこの記憶は僕が昔見た夢だ。なんだけど、僕は何だかそんな風に言われて凄くうれしい気がして気分を良くした。 Aさんは本当に明るくてパワフルでパワーパフガールズを三人足して三で割った感じの人で、でもSFCに受かっていたりして、知性のある人だった。そんなふうに、図抜けて明るく、なおかつ知性を持った人生が歩めたら周囲の賛否両論あれど、きっと楽しいだろうなあと僕は思った。

そんなこんなで、皆がゾロゾロと集まってきて、会場のビルへ入っていった。ビルのなかは吹き抜けになっていて、釣り堀があった。 みんなで釣り堀をしたのだけれど、偶然隣に居たのが同じ学校ではあるが予備校では見たことの無いAくんだった。今思えばこれが夢だと気付くチャンスだったのかもしれない。Aくんは釣りが上手で、一匹もつれない僕をよそに、沢山釣っていた。その釣り堀は大きなプールの上に細い足場が何本か渡してあるという形で、その足場の上に学校の皆が座って釣りを楽しんでいた。予備校のパーティーだったはずなのにまるで同窓会のように予備校関係なく同じ高校の人しか居なかった。今思えばこれも夢だと気付くチャンスだったのかもしれない。それで、ぼくは細い足場の上でバランスを崩してしまってAくんにぶつかってしまい、Aくんを釣り堀の池にに落としてしまった。僕は謝ったがAくんはニコニコして許してくれた。そのとき僕はiPhoneで現在地情報を見ていたが、どうも僕が居たビルの名前は「MIYAKE 3582年30月4日ビル」という名前であった。 その後昼食会となり友人たちと長い机に向かい合うようにして懐石料理のようなものを食べた。そのとき斜め前に安倍首相が座っていて、安倍首相だけがめっちゃ辛そうな担々麺を食べていた。 ぼくはそれがすごく羨ましかった。今思えばこれも夢だと気付くチャンスだったのかもしれない。

目が覚めた。

Aさんといい感じになれたのが嬉しかった。おわり。

2014年3月21日の夢

友人(と僕が思っている人間)のUくんとTくんと一緒に海上自衛隊の演習場みたいな場所に散歩に行った。まず学校の校庭みたいな広場があって、その向こうに大きな堤防がある。その大きな堤防はツタ科の植物で覆われていて、白くペイントされた木で組まれた階段が堤防に掛けてあり、それを登っていくと海の方へ出て行くことが出来る。堤防の向こうはむき出しのコンクリートでできた道があって、その脇は柵も何も無くいきなり海。 むき出しのコンクリートの道には白くペイントされた木で組まれたベンチが置いてあって、結構雰囲気のある感じだったのだけれど、一つ不思議だったのはそのベンチが海を背にして堤防に向かって置いてあったこと。 今思えばこれが夢に気付くチャンスだったか。

それで、僕らが階段を超えて堤防の向こうを見渡したとき、いきなり目に入ったのは従軍慰安婦像(デザインとしては、グレンデールのやつに近い)。 まず、何でこんなとこに建ててるの…とおもったけれど、流石に苦情が押し寄せたようで、周りには木でバリケードがはられていて、像そのものも透明感のある白っぽい布(よく商品の梱包に使われるような)で包まれていた。 それで、しばらくしていると、向こうから普通の船がやってきて、普通の船だったのに、僕は「これが日本の海上自衛隊か…!」って感動してた。

UくんとTくんは海に浮かんでいた大きくて白くペイントされた丸太の上でバランスをとって遊んでいた。多分これは最近見たDASH島でTOKIOの山口くんがやってたやつが印象に残っていたからだと思う。僕は丸太に乗ることをせず(落ちたら寒そうだったし、着替えも用意していなかったから)にそんな彼らを眺めていたのだけれど、気付くとTくんがいなくて、Uくんだけになっていた。Uくんは、「もう帰らね」と僕に提案してきたので、Tくんがいなくなったことを何も疑問に思うこと無くその提案に賛成した。 今思えばこれも夢に気付くチャンスだった。それで、堤防を越えて庭の方に戻ると、学校みたいな建物があった。で、Uくんと一緒に建物の方に行ったんだけれど、その途中でUくんが、「お前2○日の予定どうするの」って訊いてきて、たぶん無理かなーみたいな返事したら、すごくがっかりされた+怒られた。TOEIC近いんだから仕方なくないか。友情と勉学を天秤にかける以前に金がない。 という話をしていると、オレンジ色のジャージを着たおにいさん三人が建物から出てきて、そのうちの一人だけすごく見覚えがある人だった。誰だったかは忘れたけど。僕が通ってた高校の食堂のお兄さんの上田さんだったかな。 Tくんにはお姉さんがいて、その人をTさんとする。建物の中に入ると、でっかい黒い箱が三つ置いてあって、何かの作品かな、って思って、よく見てみると、何かを入れている箱のようで、そのうちの一つに、Tさんの名前がチョークで書いてあった。 何故かは知らないけど、「Tさんって有名人ですごい人なんだ」ってそのとき思った気がする。

この辺で一回目を覚ましたかもしれない。二度寝したてへペロ。

するとTくんとUくんとともにパソコンがある明るい部屋に僕は居て、Tくんが面白い話をしてくれた気がする。 そのあとTくんとUくんに隠れてyoutubeで「会田翔」っていう女優のファンが作った画像集みたいなのを見ていた。 もう30歳ぐらいの女優だった。

目が覚めた。

気になって「会田翔」と検索してみたけど、そんな女優はいなかった。 テニスプレーヤーがいた。

ブログに先んじて — 文字化・写真化の悩み

僕は卒業文集とかアルバムとかを見返すのが結構好きで、まあ一般名詞を名前に授かったものだから、自己同一性の確立に悩むところが色々あったのかもしれないけれど、その話は置いておいて、前々から様々な出来事や感銘を写真や文字にして記録するのがいいかもしれないと考えてはいた。

しかしそれを躊躇させる恐怖が僕にはあった。

その恐怖というのは、「自分の思い出が写真や文字に縛られてしまうのは怖い」というものだ。

この恐怖は厳密に言えば二つの恐怖の合体したもので、

「自分の生み出す写真や文字が自分の思い出を語るには余りにも力不足」

「力不足の写真や言葉に、記憶の心的な自然な咀嚼を妨害されるのでは」

特に、後者が怖い。

アルバムの写真なんかは自分がとっているわけではないから、何となく客観的な保証がある気がしてみていて楽しいのだけれど、自分が撮った写真は(見るとしたら)わりと流しで見ることが多い。

 

人生で遭遇する様々なイベントは、もちろん様々な構成要素によって出来上がるものだから、文字で表現しきることは凡人の僕には難しく、写真で表現しきることも同様に難しい。というか無理だ。

一度文字に起こしてしまえば、一度写真に切り取ってしまえば、そこからはみ出てしまった何かを取り戻すことは大変な苦労だ。

 

例えばきれいな女の人がいたとしてその人が鮮烈に記憶に残ったとする。 しかし、写真にその人を収めてしまえば、その瞬間の外見的特徴だけは正確に記録できるかもしれないけど、その人と出会ったそのときの空気感とか、雰囲気とか、胸の奥にわき起こった感情の動きとか、ある程度は表現できても、かなりの部分がばっさりと切り落とされてしまうわけだ。

文章でも一緒。うまくやれば、写真以上に自らの記憶に差し迫った記録を残すかもしれないけれど、同様に、切り落とされてしまう部分というのはある。

写真と文章を組み合わせるとなると、「写真」単体でもなく、「文章」単体でもない「写真+文章」という特殊な場合に於ける表現技法を利用していく必要が出てきて、余計大変になる。

そして僕は、そういうときに切り落とされてしまう部分にこそ、ひょっとすると重大な感動が潜んでいるかもしれないと考えてしまうのだ。このことも怖いし、何より、

そんな重大になり得る部分を欠いた「証拠」で思い出を無責任に補強されることが怖い。

 

でも、冷静に考えてみるならば、

 普通よりちょっとあほな自分の脳のストレージなんてたかが知れていて、思い出として記憶されたその瞬間からその思い出の情景はぼろぼろと抱え切れずに手から滑り落ちているんだろう。 そして追憶する頃にはなるほど確かに記憶の咀嚼という行為自体は自然に近い状態で出来るかもしれないが、殆ど記憶のない状態で記憶を反芻しようとするなんて意味も無く口をもぐもぐしているのと等しい。

 

さて、思い出は文字・写真として残すべきなのか、心にしまっておくべきなのか。

 

解決し難いので、とりあえずは思い出の中で比較的どうでもいいもの(≒どうでもいい近況報告)をここに書いてきます。