DDLC-01 D is for Doki Doki; Doom, Dream and Deconstruction
友人に勧められてDoki Doki Literature Clubというゲームをやりました。
ネタバレがあります。このゲームはネタバレがないことが命です。やる前に見ないでください。
トゥルーエンドと通常エンドの二通りを見るべきだと思います。
通常エンドではサヨリの横暴にモニカはふたたびプログラム書き換えで対抗します。しかしトゥルーでは何も起こりません。これはプログラム書き換えが可能なのにしなかったということです。何が主人公に対する本当の愛かを悟ったモニカはサヨリの横暴がない限りでプログラム書き換えは不要と考えたのでしょう。
加えて、トゥルーではそれ以外のルートとは異なり、おそらく、キャラクターの性格が書き換えられていません。モニカによる干渉のない、ゲームの自然状態のキャラクターたちです。
自然状態ながら、彼女たちは主人亡きLiterature Clubを結成します。そして(じつは同族ゆえに)犬猿の仲だったナツキとユリはお互いを認め合い、最後にサヨリが全部覚えていること、キャラクター全員が主人公を好きであることを主人公に伝えます。
私は、トゥルーエンドにおいてナツキ・ユリもモニカルートまでの記憶をとどめていると思っています。
彼女たちは、それまでの紆余曲折を把握した上で、心理的成長を経て、そして本来なら不要なはずのLiterature Clubを結成して(=モニカの遺志を継いで)、感謝を述べた上で、ゲームを終わらせたのではないでしょうか。
モニカはプログラムを認め、サヨリは自分を認め、サヨリとユリはお互いを認めることができました。そして主人公は、このゲームが消えねばならぬことを認めるのです。
D is for Doki Doki; Doom, Dream and Deconstruction
次回は、タイトルの"Literature"にこだわった文章を書きます。
DDLC-02 L is for Literat-ure; Life, Language and Love
その次は、このゲームにおける"Club"の意味について書きます。
DDLC-03 C is for Club; Communication, Certain and Core