マムロ サムラゴウチ:静寂の歌曲 (原文ママ)

2001年のwebTIMEに載せられた佐村河内守氏についての文章の和訳を掲載します。

もとの記事はこちら。 

Mamuro Samuragouchi: Songs of Silence - TIME

 

以下訳。

マムロ サムラゴウチ:静寂の歌曲 (原文ママ)

ゲームミュージックの大家サムラゴッチ(原文ママ)は、自身の作品を聴けない

 

ビデオゲームのプロットが、宇宙船が死の光線を打つとか、小惑星を攻撃するとか、パックマンが光り輝くドットをぱくぱく食べるとか、そんなにもシンプルだった昔は、誰一人として、BGMに注意を払った者はいなかった。いくつかの機械的なピー音、鐘の音、単調な音の繰り返しがあればそれで十分だった。しかし今日のゲームはプレイヤーを、込み入って詳細に作られた幻想の世界で起こる複雑なドラマに引き込んでいく。ピーピーとか、リンリンなんて音はもう用無しなのだ。

去年ソニープレイステーション2用に発売されたカプコンの「鬼武者」の楽譜を聴いてみろ。37歳の作曲家、マモル サムラゴッチ(原文ママ)は、豊穣できめ細やかなシンフォニーを創り出した。それは、侍が大量の魔物たちから姫を助け出すなんていうありふれたプロットのゲームを、一つの叙情詩の様相を呈すものにまで引き上げた。これを録音するにあたって、サムラゴッチはプロデューサーに、日本の伝統的楽器である太鼓ドラムスやジャパニーズフルート(尺八?)の演奏者を含む200人のオーケストラを動員するように脅しをかけた。その結果が、まるで『アラビアのロレンス』のように、神妙かつ心に刻み込まれるような、忘れ難く威厳のある楽譜だ。二十世紀では、映画ってのは、かつてオペラがそうであったように、作曲家のパレットになった。サムラゴッチは語る。今はそれがビデオゲームなんですよ

ひょっとすると、『鬼武者』の楽譜の最もドラマティックな側面は、この作曲者自身が、殆ど聴力を持っていないということかもしれない。24歳の時、彼は重度の聴覚障害を持っていると診断された。そして今日では、彼の左耳は完全に聞こえなくなってしまい、聴力補助の助けを借りてかろうじて右耳から聞こえているだけである。彼のこの状況は彼の知名度をかなり上げた。その「知名度」は彼の作品を誠実な批評から突き放してしまうのではないかと彼は恐れていた。彼は「デジタル時代のベートーヴェン」というお話の不思議な風貌を理解していた。耳の聞こえない作曲家は仕事に最も不可欠な能力の欠落を克服したのだ。「人々にそれを気付かれることなく仕事ができていたので、私は隠し続けることが出来ていた」彼は言う。

広島に生まれたサムラゴッチは、5歳のとき、母にマリンバの為のコンポジションを作ったと伝えたとき、大きな喜びを感じた。サムラゴッチは彼自身の楽曲を10歳のときに作曲したことを覚えている。幼少期から彼はピアノを練習していたのにも係らず、彼は正式な訓練と作曲の技法のレクチャーはまったく受けてこなかった。彼は伝統主義者であって、モーツァルトやベートーベンといった西方の作曲家の研究者であり、溺愛者でもある。また、近代的な、無調の音楽に対しては否定的である。「私は調和が好きなんだ」彼は言う。「時々、私は違う時代に生まれてきちゃったんじゃないかって思う

赤褐色の髪をたなびかせ、黒色の洋服を偏愛するサムラゴッチ自身のファッションは、画一化が支配する日本においては、アウトサイダーである。日本という国は、聴覚障害といった身体障害を持った人々への理解が社会の主流として広がっている。しかしサムラゴッチは無名作曲家として、何年ももがき続けてきた。見るに耐えないと彼が判断するテレビドラマの為に作曲する代わりに、彼はパートでビデオ屋の店員や、街の清掃員となって自らを支援した。彼は最終的に、テレビフィルムの『コスモス』そしてゲームの『バイオハザード』のために作曲をするチャンスとともに、無名の壁を打ち破った。

当初は、サムラゴッチは聴力は保ってこそいたものの、慢性の頭痛と、終わることの無い耳鳴りに悩まされていた。そして、1999年には、『鬼武者』のための楽譜を作っている間に、彼は完全に聴力を失った。「私達はプレスのイベントの為のシンフォニーの演奏を六週間後に控えていた。まだ、私は曲を書く為に三つの手段を持っている」彼は言った。「私は頭の中で曲を創る。紙の上でなくてね。カプコンのプロデューサーに初期のバージョンを病院から送った。何故なら彼は会話を聴くことが出来なかったからだ。プロデューサーはキャラクターの音声の時間を付記した字幕を付け加え、彼に送り、そのお陰で、サムラゴッチは会話部分あたりの曲を創ることが出来たのだ。

今日、サムラゴッチの横浜の住居の暗い部屋で行われる仕事は数少ない。「私にとって最も悲しいことは私の作品を演奏するオーケストラが聴けるようになることではない」彼は続ける。「しかし私が思うに、私は自分の為に作曲しているのではなく、他人を幸せにする為に作曲しているのだ」そして彼は客用のMDプレーヤーのボリュームを上げた。涙が彼の目に満ちた。太鼓のリズミカルなビートを訊こうと、彼は大変に努力をした。衝突の雑音だけが彼の探知できるものである。

興味深いことに、サムラゴッチは聴覚の欠落が彼をより良い作曲家にしたと信じている。「気が散ることが無いし」彼は続けた「私は自分を聴ける。もしあなたが音の内なるセンスを信じているのならば、あなたはより真実に近い何かを創り出せる。これは心との対話のようなものだ。聴覚を失ったことは、神様からの贈り物だね。

 

 

TIMEは人の名前間違え過ぎだと思う。いい加減にしろ。